silky6の日記

こんにちは。このブログは、silky6が日々の生活で気になったことを気ままに書き連ねています。

写真撮影

小学生時代からの付き合いが未だに続いている友人がいる。ということは45年以上になるのか。腐れ縁というやつかな。でもこれだけ続くというのは、どこかお互いに頼りにしているからだろうか。少なくとも自分は彼を頼りにしている。

昔から彼は遊びに長けているタイプで、バイク、たばこ、車、キャバクラetc。なんでも俺より先に手を出して、俺に教えてくれた。浪人してた時だったかな。俺は小さな町工場で働いて大学入学資金をせっせと貯めていたある日の晩のことだ。大学の夏休みで帰省していた彼が車で迎えに来て、街中のスナックへ連れて行ってくれた。お店のドアを開けた瞬間、カウンターの中でお酒を用意していた女性が、俺に向かってにっこり笑顔を浮かべて手を振ってきた。そんな世界とは無縁で生きていた俺は、どうしていいかわからず無視してしまった。当然、彼女は気分を害し、俺に対する接客がこの上ないくらい雑だった。事の始終を見ていた友人は、俺にたばこの煙を吹きかけながら「遊べよ」と一言。もうあれから30年以上経つのに、何故かたまーに思い出す。

そんな彼の高校時代からの趣味が写真撮影。フィルム時代に悪戦苦闘しながら磨き上げたその腕前とカメラに対する知識は、デジタル時代になっても当然ながら活かされており、インスタにアップされる映像には目を見張るものが多い。

彼の影響で、俺もミラーレスカメラを購入し、絞りや被写体深度など一応の理屈を学んで写真を撮るようになったが、彼のようにはいかない。センスというか、才能というのか。この差って天性のもので埋められないものなのだろうか?

そんな中、たまたま写真家の蜷川実花さんの対談記事を目にした。そこには、カメラ機能が誰にでも簡単に操作できるようになった現代において、魅力的は写真を撮る上で技術による差別化の余地はたいしてなくて、写真を撮影する人の考え方や思想が物を言うという旨のことが書かれていた。そして、撮りたい被写体を見つけたら、それを素直に撮影しているだけだとも言っていた。そこに上手く撮ろうという意識はあまり働いていないそうである。やはり最後は人間性か。どんな趣味でも極めるとなれば人柄が出るし、そういった意味では、人生何事も修行だなと感じる。