silky6の日記

こんにちは。このブログは、silky6が日々の生活で気になったことを気ままに書き連ねています。

学ぶ喜び

もう50代半ばだというのに、その多くの時間を仕事に費やし過ぎたことと飲み会好きが相まって、日本の歴史、政治、経済など殆ど知らないことに気づいた。そこそこは理解していたつもりだったが、YouTubeで番組を見るようになってから、歴史についての番組を見る機会が増えたが、それらの殆どがそもそもそんなこと知らなかった、あるいは知っていたつもりだったが、間違っていたのどちらかになるパターンが8割近いのではなかったろうか。

残りの健康人生の時間もさほど長いわけではなく、このまま世間知らずで死ぬなんてあまりにも勿体ないし格好悪いということで、この数年は読書と動画による勉強に割く時間がやたら増えた。自分の無知ぶりに落ち込むこともあったが、途中から面白いことに気づいた。知らなかったことを知って理解するという行為を続けていると、難しい文章に出会った時でも、最初は手古摺っても最終的には理解できるだろうという妙な自信が湧いている自分がそこにいること、そして、新しいことを知ることでそのことに関連したことまで理解できるようになるので、1つのことを理解すると10とまではいかなくても5くらいを理解する素地が出来上がるということだ。

この調子でいろんなことを学んでいけば、60歳までにはそこそこのことは理解できるのではないかと思う。これからが楽しみだ。

自助努力

今日放送のチャンネル桜をチェックしていたら、生き物力という何やら興味深いタイトルが目に飛び込んできた。いきものがかりなんてどうしているだろうなんて関係ない考えが心に浮かびつつ、とりあえずYouTubeを開いた。

震災から10年、そして目下新型コロナウィルスが蔓延る災害大国日本で生きて行くには、普段から有事に備える必要があるとのこと。その辺はなんら変哲の無い主張だと思って話を聞いていたが、自給自足の話になって俄然興味が湧いてきた。

番組で紹介されていたのは東京と山梨の県境の山奥にある民家。住んでいる方食糧は勿論、電力も自家製ということで完全な完全な自給自足の生活をされているそうである。これならある程度の有事なら物不足によるパニックに陥らなくて済むというわけだ。

自分もこの春から小さな畑で野菜を作ろうと思っているので、なおさら興味の湧く内容だった。自家菜園を始めようと思ったのは、土に触れる幸せの追求(特に新型コロナウィルス後の生活における人々との繋がりの希薄化)と物資不足に対する備えの重要性の認識だ。自然災害は勿論、食糧自給、安全保障の意味からも自給しておくことはとても大切だ。人間も所詮は動物。自分で食べるもの位、自分で作れるようになっておきたい。

 

分れば面白い何事も

昔から機械とか文明の利器は得意ではない。手先が不器用という点が災いしているのかもしれないが、どちらかというと本を読んだり面白い話を創造したりとか、自分自身んは所謂文科系人間だと思う。

そんなこともあって、当然ながら電子機器類は得意ではない。少しは仕組みを知ろうと思うのだが、技術もい日進月歩となるとついていくのが難しく、気づけば時すでに遅し。自分だけ人間ガラパゴス状態ということがよくある。

一昨年から会社に導入されたSharePointもまさに苦手な分野だった。このソフトが導入されてからというもの、会社のWebpageの品質が見違えるように改善してきた。こんな風にデザインできる人って、きっとこの業務楽しくやっているんだろうなどと他人事のように考えていたら、なんと自分にもSharePointを使って会議の準備をするよう指示が飛んできた。

思わず頭を抱え込んだが、たまたま業務で一緒になった本部部員がSharePointtが堪能だと知って、迷わずレクチャーをお願いした。心優しい同僚のお陰である程度作成方法を理解することができた。こうなればこちらのもので、この先進めるのが楽しみになってきた。今日も周りの人のお陰で素敵な1日を過ごすことが出来た。おまけに、お嫁さんからも素敵な保存用の小さな箱がいくつも届いた。救われて生きているのだから、少しでもお返ししないといけない。

4人合わせて220歳

このところ体調が冴えなかったり、仕事が立て込んでいて疲れ気味だったので、珍しく2日連続で日記をつけるのを怠った。日記をつけることにしたのが一昨年の暮れぐらいだったと思うので、書き始めてかれこれ1年3か月近い。それ以来、何が何でもさぼらないぞと硬く誓って今日まで皆勤賞を目標に頑張ってきた。ただ、若いころと違って続けることで自分や周りが不幸になるようなら掲げた目標も潔く諦めるという考えも大切にしてきた。そんな中庸な考えが、ここまで続けられる原動力になったのかもしれない。正に老いの矜持という奴だろう。

さて、春到来を目前に控えながらもまだまだ寒さが続く今日この頃。そんな中、中学時代の野郎4人で集まってお昼ご飯を楽しんだ。前回の同級会以来だから5年ぶり位に会う友人もいて懐かしかった。年を取って髪の毛も白くなり老眼とも共存するような年となったものの、やはり当時の話になると全員中学生に戻ったような気分になれるのが有難い。

今日が最期と心に思って生きている反面、できるだけ心身ともに健康で長生きして、今日のように旧友との再会を楽しみたいと感じた。それが元気の源にもなる。

リベンジ成功

珍しく外部の方達とのオンライン会議が入った。サービスの説明をしてくれるとのことで、要は先方がサービス提供者で私たちはお客さん。従って、彼らの話をふむふむと確認して、必要に応じて質問するという、結構気楽な会議である。

とはいえ、ここにオンライン会議ならではの落とし穴がある。全員が物理的にその場に居合わせる通常の会議とは異なり、ビデオで自分の顔をスクリーン上に映し出せるとは言え、オンライン会議で発言しないことは自分の存在が一切会議参加者の記憶に残ることは無いと言っていい。物理的に集まれば、否応なしに名刺交換するなり、会議前後の雑談で存在を確認し合うなどの術があるが、オンライン会議ではそのようなチャンスは与えてもらえない。考えてみればかなり厳しい世界だ。

言葉を発しなければ存在していないと同じ。その屈辱を前回のオンライン会議で痛いほど味わった。会議の終盤で質問しようかどうか迷って躊躇してしまい、結局何も発言できずに会議が終了してしまった。その時に敗北感というか忸怩たる思いの強いことと言ったら最近では記憶にないくらいで、次回は絶対なんでもいいから話そうと強く心に誓っていた。

そんなことがあったので、今日はしっかりと質問することで会議中に自分の存在をアピールことができてほっとした。まさに借りを返せた気分である。やはり、失敗あってこそ人生は充実するものになると感じる。今回も勉強出来て有難い。

 

キャンセル カルチャー

米国の左翼化が進んでいるそうだ。かつて米国建国の象徴と言われていたワシントンにしてもフランクリンにしても、当時奴隷を使っていたということで、彼らの人間性に疑問が投げかけられ、彼らの名前に由縁のある建物が壊されたりとかしているようだ。自国ファーストを惜しげもなく前面に押し出し、中国共産党を筆頭に敵対勢力と丁々発止やりあったトランプ前米国大統領も、退任後にもかかわらず弾劾裁判騒ぎが起こるなど、保守つぶしの魔の手は一分一秒たりとも手を抜くことは無さそうだ。

また、今夜のネットニュースによれば、米国サッカー連盟は、国旗掲揚時の規律の義務化を撤廃することにしたそうだ。米国内では議論を呼ぶ内容だが、いずれにしてもあの米国がこんな状況になるなんて、想像だにしなかったことだ。

ただでさえ歴史の浅い米国にとって、短い期間の中で積み上げてきた伝統をなかったものとするようないわゆるキャンセルカルチャーという動きは、国家としての弱体化を招くに違いまい。無論、そうしたことを望んでいる人が政治の中枢に浸透しているのだろうから、こうなることも狙い通りなのだろう。

日本から見れば、世界の覇権を抑えてきた米国の弱体化正にチャンスなのである。頑張って属国から抜け出そう。

理想的な最期

今日は3月1日。月初めということは、そうファーストデーで映画が1,200円で観られる特典日なのである。今年からファーストデーは休みを取って映画を見ることにした。先月はえんとつ町プペルの副音声目当ての2回目鑑賞、通称2プぺ目、そして今日は柄本 佑さん主演の痛くない死に方を観てきた。

終末医療を自宅で受けて最期を迎えることを望む患者さんの治療を専門で行う医師と患者、そしてその家族達、それぞれが抱える苦悩や感謝の思いが描かれていて、とてもいい話だった。子供のいない自分としては、常々周りの人に迷惑を掛けないような最期の迎え方を考えると同時に、死に方についてもたまに考えることが増えてきた。死に方については選べるものではないから、あまり多くを考えても意味がないのだろうが、1つだけどうしても嫌なことがある。それは、痛い死に方である。それを避けるのがまず大命題だ。とにかく痛いのは嫌なのだ。

そんなことを考えているときたまたまこの映画の存在を知ったので早速飛びついたわけである。近くの映画館で上映しているのも幸いだった。長尾和弘さんという実在の在宅医の話に基づいているそうだが、こんな素晴らしい先生が近くにいれば、是非ともお願いしたいと思った。また、リビングウィルの作成も重要だと思った。

縁があって生まれてきたこの人生。辛いことも多かった人生で、最後の幕引きにおいても痛い目に合うなんんてまっぴらごめんだ。人間としての尊厳を維持しながら旅立ちたいと思う。