silky6の日記

こんにちは。このブログは、silky6が日々の生活で気になったことを気ままに書き連ねています。

巣立つ子供達

以前勤めていた会社でお世話になっていた福岡営業所の先輩とは、職場が変わってからも付き合いを続けていただいている。東京の本社で働く自分と福岡の先輩が初めて会ったのは、東京でもなく福岡でもない。忘れもしない米国デンバーでの国際展示会への海外出張に向かう成田空港のロビーだった。

それまで電話で話したことはあったが、顔は写真で見る程度だった。聞けば海外は生まれて初めてとのことで、びっくりするくらいの大荷物を準備されていたことが印象に残っている。対照的に、旅慣れているどころか、1年前に米国留学から戻ってきた自分にとっての米国出張は、どこか里帰りのような嬉しさとある種優越感のようなものが交じり合った、えもいわれぬ高揚感を抱かせてくれた。

1週間程の相部屋暮らしを通じて、私はこの先輩がすっかり気に入った。やはり九州男児は潔いし、ずるさが無い。その勢いで私生活でも家族ぐるみ(こちらは独りだが)で付き合わせていただくようになり、何度となく大宰府の先輩宅まで泊まりに行った。当時、先輩夫婦には2人のお子さんに恵まれていて、上の男の子は小学4年生、下の娘さんは幼稚園だったような気がする。二人とも人懐こく、一緒に遊んだものだった。

そんな先輩との今年最初のメールはいきなり子供達の結婚報告。しかも二人とも結婚されているようで、実家を出てしまっているとのこと。あの可愛かった子供たちがすでに親になってもおかしくないことになっているとは。月日が経つのは本当に早いものだ。自分には子供がいないので分からないが、流石に先輩のメールはどこか寂しそうだった。そんな寂しさを感じられるのもお子さんがいらっしゃったお陰だろうから、そう考えると、なんとも羨ましい気がした。

目に余る利権争い

海の向こうの本社から、温室効果ガス排出量を抑えるような商品の販売実績を報告するよう指示が来た。どうやらその実績値をもとに、今後どの程度このような所謂エコ商品の売り上げを伸ばすか考えろと言われそうな気がする。今や、ガソリン車は悪者で10年もすれば電気自動車にかなり取って代わられてしまうのだろう。そうなったら、ガソリン車製造販売メンテにかかわっている産業に従事する人達が軒並み失業となる。受け皿なんてそう簡単に出てくるわけないし、日本にとっては一大事である。おまけに、そこまでして日本国として享受できる利点があるのかと言われればNoと言わざるを得ない。単に中東をはじめとする石油富豪を凋落させようとしているだけの話で、要は産業界の覇権争いにしか過ぎないと思っている。

政府に目を向ければ、相も変わらず属国精神全開の施策ラッシュ。セキュリティー政策そっちのけでデジタル庁とやらが政府の行政機関のデジタル化を進めている。ご親切に国のシステムだというのにクラウドAWSを使うそうである。パーラーじゃないけど、いつバッサリとデータを消すと脅されるかもしれないというのに。

所詮すべてが覇権争い。騙されないようにしよう。

2ぷぺ目

今日は月始め、すなわち映画の日である。在宅勤務で通勤時間を仕事に振り当てることが可能になったお陰で、全体的に仕事に多少の余裕が出てきた。この生まれた余裕を何に当てようかと考え、思いついたのが映画鑑賞。最寄りの映画館なら車で10分程度なので、都内に住んでいた頃に比べると、映画館自体に行きやすき環境になったという点が大きいと思うが、やはり鬼滅の影響は大きかったと思う。1年以上映画館とはご無沙汰状態だったが、アニメとはいえ、鬼滅を映画館で観て、やはり映画館で観ると迫力が違うと、改めて実感した。それに、映画の日は1,200円で楽しめるのだから、行かない手はない。

そんなわけで、今日は有給休暇を取ってえんとつ町のプペルを観に行ってきた。今回が2回目、俗に言う2プぺ目ってやつ。今回の目当ての一つが、総指揮をされている西野さんのナレーションによる音声ガイド。映画開始からエンドロールが終了するまで、各シーンに込めた思いなどを西野さんが説明してくれているのが、恐ろしい位ずっとしゃべっていた。この方、本当にこの作品好きなだなぁと素直に思えた。

他人を感動させるには、本人がその作品に惚れ込んでること、そして、何とっても楽しんでいることが大切であることを痛感した。何事も楽しいことが一番だ。

信じられるのは家族と自然だけ

昨日の強風はまさにどこ吹く風といわんばかり、今日日曜日は朝から穏やかな青空に恵まれた。この地では、冬には通称からっ風と言われる強い西風に悩まされることが多く、昨日は正に朝から大西風だった。そのため予定していた父親とのバイクツーリングは大事を取って中止にした。

一日たった今日は無風の晴天という絶好のツーリング日和。ということで、緊急事態宣言発令中のさなか、ウィルス対策万全の状態で二人してバイクで往復60キロのショートツーリングを満喫した。昼食は地元で人気のお蕎麦屋さんで天ざるを平らげた。新型コロナウィルス禍にもかかわらず順番待ちするほどの盛況ぶり。ただ、よく考えたら、ウィルス対策として客席数を減らして蜜を避けるようお店で対応されているので、収容客数が通常よりかなり減っているのだ。ただ、それを差し引いても他府県のナンバープレート見かけるくらいだから、如何に人気店かということを改めて痛感した。

帰りがけに今迄鳴りを潜めていた西風が発生し、県道で多少煽られたものの、無事に帰ってくるとことができた。走りながら見た遠くに美しくそびえる雪山の景色はなんとも清らかで美しい。

政権は正に植民地支配者の出先機関の様相を呈してきた。メディアや学者も拝金主義に走り、信頼できる情報ソースも限られてきた。そんな状況ではあるが、いつものように信じられるもの、それが家族であり自然だと思う。今後の生き方の鍵は家族、親類、友人そして自然だと思う。そして、信じられる人たちがいることに感謝している。

優秀なリーダー像

月例で行っている会社での読書会。起ち上げたのが去年の4月だから、もう少しで1年になる。当初は会社の会議室を借りてランチタイムに有志を募ってやろうと思っていたが、生憎コロナウィルスのため在宅勤務を余儀なくされ作戦変更。ランチタイムにオンラインでやることにした。流石に何かしら資料がなければ、みんな話にフォローするのは難しいし、所詮バーチャルの集まりなので、みんなの様子をみながらというわけにもいかない。そんなわけで、本の中で特に伝えたいところに絞って、要点をパワポに書いて読書会の時はそのパワポを共有して話を進めるような流れにした。今のところ参加者は5~6名程度だが、それでも皆さん喜んでもらえるのは有難い。

今年1回目の読書会は都合により2月第一金曜日となった。新年一発目ということで、皆さんが興味を持ちそうなものをあれこれ考え、大前研一氏監修のリーダーシップをテーマにした本にすることにした。

もう5年以上前になるが、一人で30人規模の人数が参加する企画の責任者になった時、リーダーの難しさ、大切さなどを否応なしに考えさせられることになったのだが、その時に読んだのがこの本だった。リーダーに共通の性格は無い。自分が自分でいることが大切という話を聞いて、気分が楽になったことを今でも鮮明に覚えている。さて、今回はみんなどんな反応してくれるのか、いまから楽しみである。感謝。

五輪開催に孕む多くの危機

新型コロナウィルス感染、いや、PCR検査陽性反応者というべきが正しい、いや、もっと正確に言えば、WHOが設定する上限値を上回るCT値を使っているため実は意味がないのではないかと揶揄される日本のPCR検査を使って陽性反応の出た人の数が増える中、今年の東京五輪パラリンピックを開催するのか否かを決定する期限が刻一刻と近づいている。

規則では開催の決定権はIOCにあるそうで、開催地である日本はIOCの決定に従うしかないのだそうだ。そうなると、やるかやらないかという議論が起きるのは筋違いで、IOCにやめようよと提案するか、IOCからやるように言われた場合、コロナ禍というある意味非常事態の中で対応できるような体制を準備できるよう今から備えるのどちらしかないと思う。

ただ、万一開催となれば、開会式当日は奇しくも中国共産党結党100周年とのこと。何の因果か不気味な予感である。今回の東京五輪パラリンピックで問題を起こして、日本を貶めようとしている勢力は間違いなく存在する。それでなくても外国からコロナウィルスの変異株が持ち込まれる可能性は大きい筈だから、五輪終了とともに自国に帰った関係者が、自国で変異株を感染させることもありうる。そうなった場合、非難されるのは間違いなく五輪パラリンピック開催に踏み切った日本ということになる。

今や新型コロナウィルスの発祥地であることが中国であり、発祥当初隠蔽していたことも分かっているのに、中国を非難する動きすらない。それでいて万一東京五輪パラリンピックで感染が広がったら日本が攻撃されるという構図。これだけは絶対に避けねばならない。この際、勇気をもって中止するのが妥当な判断だと思う。

初心忘るべからず

YouTubeの討論番組を見ていたら、自民党議員の方が、自民党の使命なるものを紹介していた。1955年の自民党結党の際に作成されたものであるが、惚れ惚れするような見事な内容だった。

戦後10年という時期だから、米国による占領が一区切りついた時期であるとともに、占領政策の効き目が陰に陽に表れてきた頃かと思われる。改めてウェブサイトに開示されている党の使命を読んでみると、当時において既に愛国精神や主権国家としての自立精神は失われていたようで、その原因はひとえに占領政策にあると断言している。その誤った政策により弱体化の道を進もうとしている日本国を正しい方向へ導くために自民党を結党するというわけである。

あれから65年の歳月が過ぎた。そして日本は弱体化どころかもはや発展途上国に向けて坂道を転げ落ちるようなスピードで邁進しそうな状況だ。そして、その先導役が自民党だ。もう呆れてものが言えない。どうしてここまで変われるものか。常識的に考えて、どの面下げて自民党の下でこんな国家滅亡政策を打てるものか。

初心を忘れるのは結構。それは人間なのだから仕方に無い。ただし、その場合はとっとと自民党を出て行って欲しい。これ以上人を騙すことは道徳的に許されないはずだ。