silky6の日記

こんにちは。このブログは、silky6が日々の生活で気になったことを気ままに書き連ねています。

真面目な人ほど勉強しないといけない

図書館で借りていた本が返却期限を迎えた。1度返却期間を延長したが、それでも読破できることが出来なかったショックドクトリン。50年近く前にシカゴ大学学派の代名詞となった新自由主義が南米、やがて東欧といった形で猛威を振るっていたとは全く知らなかったので、とにかく驚いた。そしてこれだけの内容を良くも調べ上げかつ危害も加えられなかったものだ。文中にポーランドの連帯代表ワレサさんの名前を見つけた時は、なんとも懐かしい思いに駆られた。彼がテレビに登場したのは自分が大学生の頃だったろうか。ソ連に反旗を翻した彼は、共産主義による独裁政治と闘う正義感という存在に映ったが、その影でアメリカやIMFなどから様々なプレッサーを受けていたのだ。やはり真実を把握するのは難しい。

このまま借り続けたいところだが、規則は守らねばならない。一端返却に図書館に向かった。図書館につき返却手続きを済ませた。手ぶらで帰るのも寂しいので、科学者として持論を展開されている竹田邦彦先生の本を借りた。環境理論について中学生対象に説明した本で、とても面白そうな内容だ。早速帰宅してから読んでみると、理科系の話を中学生でもわかるように説明されており、期待通りの素晴らしい作品であった。

また、その中で孔子の言葉を引用され、『気まじめな人で勉強い嫌な者は他人を苛める』という言葉を展開されていた。中途半端に勉強したものは間違ったことを他人に押し付けやすいので要注意とのこと。正に今の私である。吉郎

地域紛争本格化

トランプ前大統領が選挙で敗れ、民主党政権への移行が確定した時、多くの言論人は世界は戦争モードに突入することを懸念していた。戦争と呼ぶほどの規模ではないにしても、非戦派の前大統領時代に比べれば、地域紛争レベルのことは多発するのではと思っていたが、新政権発足後、早くもその不安は現実となり始めた。

ミャンマーでクーデターが起こり、シリア内のイラン支援組織に対する米軍による爆撃、そしてわが国日本領土の尖閣諸島には中国海警局が領海侵入する始末。まだバイデン政権発足から1ヵ月ちょっとしか経っていないのにこの有様である。この先どうなるやら。

これから暖かくなるにつれ新型コロナウィルスは収まり始めるとともに、ワクチン接種も始まるから、新型コロナウィルス問題は沈静化していくのかもしれない。そうなれば東京五輪パラリンピックの開催も現実味を帯びてくる。

ただ、この状態で一体どの程度の海外アスリートが参加してくれるのだろうか。また海外から観客を招いてしまって大丈夫だろうか。おまけに今年は中国共産党結党100周年。何かきな臭い気がして仕方ない。決断まであと1か月程度なのだろうが、熟慮して決めて欲しいものだ。

来年のイメージが浮かばない

今日は朝から曇り空で気温もあまり上がらない寒い1日となった。このところ春を思わせる暖かい日が続きていたので、その分寒さが厳しく感じられた。1か月前だったら、とても暖かく感じたに違いないが、春を迎える前の所謂三寒四温故ならではだ。

発生から1年以上が経つ新型コロナウィルスも日本国内の状況は落ち着き始めたようで、一都三県を除いて緊急事態宣言も解除になるようである。というか、一都三県に対する緊急事態宣言が解消されない意味が良く分からない。日本人のPCR検査陽性判定者数が、欧米に比して異様に少ない状況にも関わず、メディアは毎日のようにコロナウィルスの恐怖や感染拡大状況を伝え我々の不安感を煽ってばかりである。

また、先日は福島を震源とする大きな地震が発生した。奇しくも東日本大震災から10年の節目を迎えるこの時期に大きな地震が起きるなんて、どこか不吉な感じがする。

最近何故か来年のイメージが湧かなくてなんとも気味が悪い。通常、来年は景気が良い悪いとか、どこに旅行に行くとか何かしらイメージが湧くものだが、何故かその絵が浮かばず妙な気分だ。とは言え、向こう10年の方向性のようなものは見えるような気がするのだが、これまた神さまのみお知りになられることなのだろう。とにかく今日が最期だと思って頑張ってみる。

やっぱり一緒に働くのが一番

珍しく大勢の社員を対象にリモートでプレゼンを行うことになった。もとは上司が依頼されたものだったのだが、生憎スケジュールが合わず、自分にお鉢が回ってきたというわけである。

在宅勤務生活ももうすぐ1年になる。一人暮らしゆえ、週末に実家に遊びに行くとき以外は生身の人間と面と向かった話すことは殆どない。当然口自体を動かしていないか滑舌も悪くなるので、そもそもプレゼンどころではない。とはいえ、このような独りぼっちの暮らしは脳に悪いことぐらい百も承知だったので、本は音読するようにして、なんとか口の動きはさび付かないように努力しして来た。

プレゼン前日から当日朝までリハーサルを行い、時間配分も確認。朝は日課の週中室内軽掃除を行い部屋すっきり。後はプレゼン中回線に支障が無いよう神様に祈って本番突入。幸いなことに回線も支障がなく、いただいた質問もなんとかこなして30分の会議終了。後で評判が良かったと聞いてホント一安心した。

印象に残ったのが、質疑応答で質問してくれた友人。もう数年現場で会っていないひとだが、会話をしているうちに懐かしが込み上げてきた。やはり、仕事と言うのは、一緒に汗流して、無い知恵絞って頑張るからこそ楽しい。そして、大きなしごとするのなら、やはりみんなで顔わせて前に進むのが一番。リモートでも可能な限りメンバーと会わないとね。

南米諸国が大先輩とは知らなかった

貸し出し中で中々借りることが出来なかった、ナオミ・クライン著ショックドクトリン。YouTubeの討論番組等で引用されることが多いので、一度読んでみたいと思っていた。購入するにはちょっと高いし、おまけにかなり分厚い(しかも上下巻)ので、積読になったらショック大きそうなので購入に躊躇してしまっていた。

こういう時こそ近くの図書館に頼ろうと思い図書館の在庫を調べてみたのだが、何故か上巻のみ貸し出し中。それがやっと先週上巻が戻ってきたことに気づき、早速借りてみた。ショックドクトリンというのは、自然災害直後の動乱に乗じて、災害復興を錦の御旗に掲げ、公的サービスを民営化する等所謂レントシーカーが跋扈するという、そういう事例を紹介するような内容の本だと思っていた。

まだ上巻の半分も読んでいないが、そもそもその歴史が南米チリのピノチェト軍事政権のもと、社会実験として採用されていたという事実に驚いた。そして、その実験の理論的拠り所が、ミルトンフリードマン率いるシカゴ大学新自由主義者でなり、軍事政権を裏から支えたのがCIAだったという事も知らなかった。CIAが支えたというのは控えめな言い方であり、実際はCIAが扇動したというべきだろう。

この悪のトライアングル(軍事政権、新自由主義者、CIA)が南米社会を地獄絵図へと化していたのが1970年代なのだから、子供心に興奮してTVにかじりついて観ていたアルゼンチンのサッカーワールドカップが、民衆を虐殺していた軍事政権の下で開催されていたとは知らなかった。

新自由主義に社会を蹂躙されるという点では南米が日本の先輩だとは知らなかった。やはり勉強は大切だと痛感した。

当たり前に感謝

このところ春のような暖かい日々が続いている。日中はおろか夜もストーブを使わずに済むので、光熱費負担が軽くなり有難い。こんな週末は父親とバイクで出かけたいところだが、父親は少々体調がすぐれないようなので、今回は諦めることにした。自分としては、前回のツーリングで、昼食を食べたお蕎麦屋さんの駐車場でバイクを動かす際にバランスを失ってこけてしまった父親に対し、自分がついていながら何故無理をさせてしまったのかという悔恨の思いが強く、その思いをまだ払拭できないので、取りやめとなってどこか気分が晴れている。

外出が中止となったので、週明けから忙しいことが見え見えの仕事を少し進んて置こうと思い仕事を始めた。いつものようにPCを起ち上げキーボードをたたき始めた。すると手の甲に痛みを感じた。どうやらキーボードの叩き過ぎで腱鞘炎になりかかっていたようだ。これではバイクのクラッチと前ブレーキもまともに握れなったに違いない。そういう意味では、今回のツーリング中止は神様の思し召しかもしれない。

また、こうして手の痛みを感じて初めて普段普通に使えている手のありがたさに改めて気づかされた。当たり前のことにもっと感謝すべきである。

 

雨のち晴れ

今朝は珍しく朝一で外部業者とのオンライン会議が入っていた。社内で小さなタスクフォースが起ちあがったのだが、自分はコーディネーター役で、チームが目的に向かって上手く機能するよう配慮するのが大きな役目。裏を返せば、このチームが担当している業務について特段の知識も持ち合わせていない専門性ゼロの社員なので、今回の会議も発言する必要すらないような立ち位置である。

とは言え、議論の内容が全く分からないわけではないし、一切発言しないのも空しいので、Q&Aの時に時間が余れば質問しようと構えていた。案の定残り数分のところで何か質問はあるかとの振りに対し、急にこんなこと聞いていいのか?上位の人を差し置いて質問していいのかなどと心の中で2,3秒程度躊躇した瞬間に質問時間が終了となってしまった。これでもかという位強烈な自己嫌悪感。会議で一言も話さないだめな社員となってしまった。

ふと思ったのが、この躊躇が命取りになるのがリモート会議の怖いところである。今迄だったら、その場で周りをきょろきょろ様子を見てから場の雰囲気を確認して発言というしきたりだった。増してや自分が下位の役職となるとなおさらだ。しかし、リモートとなるとそうはいかない。

ただ、これで何か吹っ切れたような気がする。そう、もう控えめでいることは何の美徳もならないどころか、一歩間違えれば用無しの烙印を押される可能性すらあるのだ。会議後すぐにポストイットを取り出し一筆入れてPCの右上に貼り付けた。『今日が最期なら?』これで明日からが楽しみになった。